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荒俣宏監修 企画展「妖怪は海にいる!?」のおすすめポイント!

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átoaの人気新スポットátoa LAB』(アトアラボ)で荒俣宏監修 企画展 第2弾「妖怪は海にいる!?」を開催中です。916日(月)まで開催予定ですので、あつ~い夏にピッタリな妖怪を見るために、ぜひátoaまで足を運んでくださいね。

企画展全体像_cut.JPG

ここでは、企画展の内容や展示品について、おすすめポイントをご紹介します。

◆妖怪って何?

わからないモノに遭遇したとき、人はしばしば恐怖を覚えます。けれど、そんなわからないモノであっても、名前を付けることができれば、「未知」が「既知」に変わり、怖さが軽減します。そんな、わからないモノに名前を与えるとき、あまたの妖怪が誕生してきました。

企画展「妖怪は海にいる!?」では、「妖怪」にスポットを当て、生体、標本、造形物、古書、さらには生きている妖怪にまつわる動画上映など、さまざまな展示を通して「妖怪とは何なのか?」に迫ります。

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妖怪にまつわる標本
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妖怪にまつわる古書(主に江戸時代)

◆新たな妖怪誕生? ~オニオコゼ~

書棚に埋め込まれた特設水槽がátoa LABに初登場!

華々しい初回を飾る生きものは、いかにも妖怪といった風貌のオニオコゼ「鬼虎魚」です。あまりの醜さに、古来より山の神への供え物にされてきたと言われています。山の神は「醜女(しこめ)」だったため、自分より醜い魚をみると機嫌がよくなると考えられていたのです(諸説あり)。また、トゲのあるものは、魔物であると同時に、しばしば邪悪な者の目を突く魔除けとして利用されてきたそうです。名前も姿も妖怪然としているオニオコゼ、ぜひ実際に見ていただきたいです。

しかも、今回展示しているのはただのオニオコゼではありません。なんと、イソギンチャクが付着している珍しい個体なのです!オニオコゼとイソギンチャクの共生(2種類以上の生きものが一緒にいる状態)は、2022年に発表されたばかり。地域によっては1割ほどの頻度で発見されるようですが、いまだになぜ付着しているのかはわかっていない、まさに「わからないモノ」の状態です。オニオコゼにイソギンチャクが付着している様子は奇想天外。名前を付けたら新しい妖怪が誕生するかもしれませんよ。イソギンチャクは1センチほどの大きさで、決まった場所に付着しているわけではなさそうです。そのため、ちょっと見つけにくいのですが、宝探し気分でぜひ新しい妖怪を探してみましょう!

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書棚に埋め込まれた特設水槽(写真右側中央)
イソギンチャクが付着したオニオコゼ_1.JPG イソギンチャクが付着したオニオコゼ_2.JPG

イソギンチャクが付着したオニオコゼ

◆暗黒の海に棲む妖怪

地球上のさまざまな現象が解明されていく中、深海には、いまだに多くの謎で満ちた神秘の「わからない」世界が広がっています。暗黒の厳しい海で生きるものたちは、ときに面妖な姿をしており、驚くべきことに、その子ども(幼生)たちは真っ暗な夜になると海面近くまで浮かんでくることがあります。透明だったりヒレが極端に長かったりする摩訶不思議なモノたち。暗い海の中は、この世とは思えないような、まるで幽界のような世界なのです。実際にダイビングで夜の海を観察されている荒俣先生によると、条件さえ整えば、かなりな頻度で妖怪に出合うことができるそうです。

 企画展では、不思議な深海生物や浮遊生物を実物標本とパネルを交えて展示しています。また、会場では、生きている姿を映した貴重な映像を上映しています。

深海生物や浮遊生物の標本(下)とパネル(上)_cut.JPG

深海生物や浮遊生物の標本(下)とパネル(上)

◆何がホンモノ? ~天狗と平賀源内~

化け物の博物学が流行した江戸時代、蘭学者や発明家として名高い平賀源内は「天狗の頭蓋骨」の鑑定を頼まれました。持ち込まれた骨には、確かに天狗の鼻のような長い部分があります。しかし、源内はそれを古代のイルカ頭骨の化石と見破ったそうです。天狗の鼻に見えたのはイルカの吻だったのです。ところが、源内が出した答えは驚くべきものでした。源内は町人たちに「いかにも、これは見事な天狗の骨である」と答えたというのです。天狗の骨と考えて驚き探究する好奇心こそが貴いと考えたのだそうです。

会場では、平賀源内の著書『天狗髑髏鑒定縁起』(江戸時代中期)とともにイルカの頭骨を展示します。イルカの骨を眺めながら、天狗に思いをはせてみてくださいね。

『天狗髑髏鑒定縁起』(平賀源内著)とイルカ頭骨_cut.jpg

『天狗髑髏鑒定縁起』(平賀源内著)とイルカ頭骨

科学が発展して「わからないモノ」がどんどん減っていくにつれ、妖怪にとって生きにくい世の中になっていっているかもしれません。でも、度々起こる妖怪ブームなどを見ていると、妖怪って案外自由な存在なのかもしれないなとも思います。とある小説に、妖怪と歴史上の人物について、その存在の違いを問いかける内容が出てきます。歴史上の人物は確かに存在したのかもしれませんが、今生きている人間でその人物を本当に見た者はおらず、書籍や口承で伝わった情報を信じるしかありません。聖徳太子や徳川家康を実際に見た人はいないのです。妖怪も歴史上の人物と同じように、数多くの書籍や伝承が残っています。絵画や写真や標本が残っている妖怪さえたくさんいます。歴史上の人物が本当にいたのなら、妖怪だって本当にいたっておかしくないのかもしれません。「いない」ことは証明できないという悪魔の証明を持ち出すまでもなく、平賀源内が問いかけるように、妖怪がいる世の中の方が楽しいのではないでしょうか。ぜひホンモノの妖怪に会いにátoaに来てくださいね。